quote:メディアラボ・ヨーロッパは,ツナというアプリケーションをテストしている。これは携帯電話やPDAで無線LANを利用し,互いのデバイスの楽曲を共有できるというもの。ほかのユーザーが近くにいると,そのユーザーの曲を聴くことができる。だが,ストリーミングだけでコピーできない装置が普及するか,疑問に感じている人もいる。
米国にはラプソディという音楽サービスがある。曲をダウンロードすることはできず,ストリーミングで聴くサービスだが,自由にいろんな曲を聴くことができるということで,高い評価をしている人もいる。米国以外からは利用できないのでわたしも使ったことはなく,評価なんてできないんだけど,わたしはよく聴くネットラジオ局もあるし,その手のサービスはうれしく,ありがたいものだと思っている。だが,それ以外ないとなったらどぉ感じるだろう? 記事の最後の部分で,iTunesミュージックストアがダウンロード販売だけでストリーミングサービスを行わないのは,ジョブズ氏の信念によるものだと受け取れる発言がある。ダウンロードできない,ストリーミングだけだとしたら,わたしたちは音楽なんか聴くのをやめるだろうか?
もしかしたら,そうなのかもしれない。「補助」としては,ストリーミングがあってもいいけど,なにも手元に置いておけないようなものは,そのうち興味がなくなる,のかもしれない。ツナも,曲をダウンロードできるなら普及しそうだけど,できないんならどぉでもいい,となってしまうのかもしれない。金を払ってるならちゃんとコンテンツを保持させろよ,と思う気もする。繰り返すがネットラジオは楽しい。ストリーミングでも十分に楽しめる。だがそれだけになってしまうと,人は満足しない?
映画館や遊園地に行っても,なにも残らない。パンフレットとか付随するものは買って残るかもしれないけど,コンテンツ自体は残らない。でもそれで満足している利用者は多い。つまり,時間を買うという行為。デジタルコンテンツで,それが可能なのか? 本当は保存できるものなのに,保存させないようにごまかして提供しているものでは,最後にはやっぱり捨てられる,のかな?
|